中森ふくよの経歴

生い立ち

1949(昭和24)年 10月、東京都荒川区尾久で出生。

祖父母、父母、叔父、従兄弟の大家族の中で育った。

 

1968年  ニチメン株式会社 (現:双日株式会社)に入社

1972年~ 父・中森巖太郎の秘書として活動

 

 

◉中国革命の「孫文」が日本で所在不明だった約1年間、荒川区の祖母宅と祖父の実家である群馬・渋川の神保家に匿っていた。

その縁から現在も中国要人と交流が続いている。

 

 

◉祖母は伊勢神宮の小宮司の娘で、虎ノ門女学館に通う為上京。

西園寺公望や頭山満、宮崎滔天とも親交が深かったと聞いている。 

 

 


父の秘書として活動

東北新幹線( 盛岡 ~ 東京 )と埼京線の開通に尽力

 

1972(昭和47)年、当時国鉄(現:JR)は、東京駅を起点に東北新幹線の開通を目指していたが、高架化による騒音やテレビ電波への悪影響等を憂慮した沿線住民・市議会の猛反対を受けていた。

 

父・中森巌太郎に対応の依頼があり、引き受けるにあたって、沿線住民へのメリットとして通勤新線(現:埼京線)を併設する事を提案。

さらに、交通至便と合せて問題なっていた水害や騒音へ対策を講じることを前提とし、賛成多数に逆転させ東北新幹線開通に貢献した。

 

1985(昭和60)年、上野駅までの開通と同時に、埼京線の開業を実現させた。


新幹線の電波障害対策として 受信組合を設立


 

東北新幹線開業と同時に、新幹線通過に伴う沿線住民の電波妨害の解消のため、浦和ケーブルTVネットワーク(現:株式会社ジェイコム埼玉・東日本)を創設した父・中森巌太郎の側近として設立等に貢献。地域との結びつきを深めた。

 

現在は、全国有数のケーブルテレビ会社に発展している。

 

 

 

 

 

大型高層パラボナアンテナを建設し、誰でも衛星放送を視聴できるようにした。